
【 エメラルド色の幸せ 】
新年会で歌舞伎町の居酒屋へ行ったらHero-Heroさんがぎんなんをくれた。「袋二重にしてきたから♪」と、嬉しそうにバッグから取り出して配ってくれた。ポケットに入れるとビミョーにもっこりしちゃうくらいの量だ。なんでもシロンαさんちの庭(?)で採れたらしい。もらったときは既にこの白いピカピカの状態だったそうだ。かなり大粒のコイツラを採集状態からココまでにしたなんて、すごい根性だ!
封筒に入れてレンジでチンするとパンパンはじけて調理簡単らしいが、わたしは1コづつ割ってフライパンで炒った。塩を振って食うとメチャメチャウマい!!

近所のゆず無人販売所に先週の土日はゆずが出なかった。もしかして、そろそろシーズン終わりなのだろうか。そういえばブリの切り身もずいぶんと大きくなってきた。単価が高いのでスーパーのさくは腹側だけで3段に切り分けてあって、刺身にするとおかしな形になる。秋の生すじこも、出始めは粒が小さいのだがそのうちにどんどんデカくなって、やはり単価のせいでふたつかみっつに裂かれて売られていた。近所のゆずも10月頃は4個入り100円だったがしまいには小さいが15個も入ってくるようになった。しなびてしまう前に使い切ったほうがウマいので、鍋や汁物にまるごと一個贅沢に絞っている。
はええぞ。もう1月終わりだ。あしたはカレンダーめくんなきゃ。このカレンダー、だれんだー!?
だいぶ前に某新聞の投稿欄に書いてあったものを一部抜き書きしてとっておいた。
「自分が辛いときに、己の事しか考えられないパートナーとは『この先無いなあ』と感じ、辛い事から立ち直っても、『支えてくれなかった』という印象は持ち続けてしまうようです。」
それ、双方で思ってたらお互い様だけれど、だからってプラマイゼロにはならないんだよね。しかも修復不可能だし。(笑)

【 不幸な記憶 】
田口の豚肉でクリームシチューを作った。いつも安い鶏肉でしか作ったことがなかったので楽しみだった。煮込んでいる途中でちょっと味見をした。…給食のシチューの味がした…。完成後、kiriに食わすとウマイウマイと3杯もおかわりをした。食い終わった皿をマンボゥの前に差し出すと喜んでなめ尽くした。みんなあまりにうまそうなので、勇気を出して食ってみた。…旨かった…。ちゃんと作ればうまいのだとわかった。放課後まで残されて無理矢理食うよう強制された吐き気のするあの給食のシチューとは違うのだと。
【 教師の責任 】
小学生の子供がクリームシチューを嫌いだなんて、不幸だと思う。
給食は何も残してはいけないと言われ、全て食べ終えるまで放課後まで残されたりすることを恐れて懸命に食べているクラスメイトの女の子に向かって
「食べるの、そんなにつらいですか?」
と担任は言った。
食べるのがつらい子供などいるだろうか。
食べるのをつらくしているのはあんたじゃないか!と、今なら言える。

【 肉屋の包装紙のにおい 】
子供のころ、母にお使いを頼まれて商店街の肉屋へ行くと、買った肉をまず経木にくるみ、手早くくるくるっと店名入りの包装紙に包んで輪ゴムなんかでとめて渡してくれた。あの包装紙のにおいはなんだろう。コロッケやポテトフライを買うと、緑やピンクの薄い紙の包みだったりもした。あの、「ロウ」のような懐かしいにおいはなんだろう。
私にとっての憧れのナイスバディは峰不二子だ。なのにスメラギさんったら、不二子ちゃんよりボインだなんて、失礼だ。
観光用語でキングと呼ばれている神奈川県庁本庁舎の1階に横浜銀行が入っている。知事がいるので警備員もキリッとしているし、用事がないと入っちゃいけないような雰囲気ではある。でも、銀行のATMにお金おろしに入ってもいいのだ。
映画の撮影にでも使われそうな廊下は古びていて天井も古く、ちょっと他にない雰囲気だ。私なんぞは県民税払ってるんだからとトイレを借りるだけでも入ってしまう。それ、他の役所や警察署でもできることだよな。
観光用語でキングと呼ばれている神奈川県庁本庁舎の1階に横浜銀行が入っている。知事がいるので警備員もキリッとしているし、用事がないと入っちゃいけないような雰囲気ではある。でも、銀行のATMにお金おろしに入ってもいいのだ。
映画の撮影にでも使われそうな廊下は古びていて天井も古く、ちょっと他にない雰囲気だ。私なんぞは県民税払ってるんだからとトイレを借りるだけでも入ってしまう。それ、他の役所や警察署でもできることだよな。
【 あったかいぞ♪ 】
物置から通称ホカロンの類発見。使用期限は去年の9月。封を開けて振ってみた…。
【 相鉄線の歌 】
さらばーえびなよー、かしわーだいさがみのー、さがみーおおつかー、やーまーとー!
って、知ってる?
小田急線・相模大野駅。古い記憶では、この駅前にある短大を受験したことがある。進学校では全く無かった私の高校からは、私の他にピアノの上手なクラスメイトがひとり、受験したのみだった。私は落ちたし、彼女のことは知らない。それより、なぜこの学校を受けたのかを憶えていない。当日、自宅最寄りの駅で切符を買うとき、どの駅まで行けばいいのかという地理的なことすら頭に入っていなかったように思う。要するに、知らない学校だった。受験とは、不思議なものである。のちに入った他の短大も、ほとんど行かずにやめてしまった。
それから十数年が経ち、入会していた結婚相談所の紹介で出会った男性と初めて待ち合わせたらば、それが相模大野駅の改札だった。
横浜駅から相鉄線の急行に乗り、二俣川から海老名へ行き、小田急に乗り換えて相模大野に着いたと思う。淡い記憶の中で、改札の向うでまるでアメリカの青春映画の主人公のように大きく手を振っていた男性の姿を、今でも思い浮かべることができる。
そのあと、相模大野は思い出すこともない駅のひとつになったが、時間の経過と共にすっかり忘れ去ってしまった。
その数年後、kiriと一緒に町田へ繰り出すようになったある日、行きつけのRick’sのステキなバーマンから「相模大野の○○と△△がイイですよ」と聞き込んだ。さっそく行ってみた。
当時のkiri塒から相模大野は指呼の距離で、夕暮れに歩いて行き、夜半にタクシーで帰った。○○で軽く食ったあと△△へ向かうと、蒸し暑かった夏の当夜、なぜか店のクーラーが故障したということでカクテル全品が半額だった。こうなるともう、大いに飲むしかなかった。今も、酒癖の悪かったあの暑い夏の夜の客が“真夏の世の悪夢”と語り継がれていないか心配である。
今、飼っているコザクラインコのエビィとオカメインコのワサビィのかかりつけ医院が相模大野駅のほど近くだ。たまたままったり亀さんのブログを見て崎陽軒のシュウマイなどを思い出し、たまらなく食べたくなって買いに走った。相模大野駅ビルに崎陽軒の売店が入っているのだ。確か弁当の類は売り切りで、朝入荷した物が争奪戦になるはずだ。午前中に車を飛ばした。売店には目当ての「横濱チャーハン」が3個、残っていた。嬉しい。
崎陽軒で目的のブツを手にすると、通路の奥に見慣れた赤い看板が目に入った。ポンパドウルだ。横浜は元町に本店のあるパン屋の名店だ。ものすごく昔のことだが、伊勢佐木町(最近、「伊勢崎」と書く輩が多く、憤慨至極だ)の有隣堂の横に来る献血車で献血をするとポンパドウルのフランスパンが1本もらえたことがあった…。ヤクルトとかブルボンのお菓子とか絆創膏とかスティックシュガーとかじゃないのだ、ポンパのフランスパンなのだ!!
あの赤い長い紙袋を抱えてザキを歩くのは、たいそう気分がよかった。
両手に崎陽軒の弁当とポンパの赤い袋を提げて歩きながら、相模大野は実家が横浜である私の、なぜだか懐かしいというか、切り捨てたくない“最後の砦”のような気がしていた。地下の大駐車場ではなく駅前のコインパーキングに停めたのでそこまで歩いたが、排ガスのにおいのする裏通りやレストラン前の歩道の様子が、何か都会にいるような気がしたのだ。
昔よく歩いた関内の町や山下町の通りが思い出された。バス停にバスが停まっているからと走らずとも5分待てば次のバスが来る、もしくは市営地下鉄に乗り換えれば良く、金が無ければ自転車でも関内へ行けた日々。行きはバスで帰りは歩くこともあった。ブックオフなんていう派手派手しいチェーンの店はなく、昔からある小さな古本屋を何軒も歩き回る楽しさ…。
今は、ハマっ子の楽しみ夏・冬のバーゲンにも行かずにファッションセンターしまむらの服で満足し、映画館にも行かず、海も見ず、ウィンドゥショッピングもせず、ただ毎日をやり過ごすばかりだ。
望む仕事のなかった職安の帰り、山下公園の一番左のベンチに座って煙草を吸うのが楽しみだった時期がある。冬の寒空、自転車で乗り入れ、かじかむ手をさすりながらメンソールの煙草を咥えると、右から火を差し出された。遠慮なく点けてもらって顔を見ると、白人ではない外国の船員のようだった。言葉は通じないが、私が持っていたセーラムを差し出すと、1本つまんで吸い出した。その彼が何か言う。しかし私には何もわからない。ただ寒空の下で同じベンチに座り、煙草を吸い、海を眺めた。言葉の通じないまま「じゃあ、行くよ」と私は表情で示し、自転車にまたがった。彼も「じゃあな(もしくはグッド・ラック)」とニッコリしてくれ、私はその場をあとにした。
こんなことが相模原で(もしくは他の場所で)あるだろうか。
どこの誰かも知れない、ただ、その人が「人」であったという記憶。外人や黒人がいまだにちょっと怖いと思う自分なのに、なぜあのときは、何の抵抗もなく、彼と隣り合わせて行く船を眺めていられたのか…。
あるとき、またも失意の職安の帰り、大通公園で煙草を吸っていた。寿町も近いそのあたりには浮浪者もたくさんいた。しかし、整備された道幅の広い陽の明るい広々とした公園のベンチには、ただ暖かさだけがあるような気がした。座って煙草をくゆらせていると隣に痩せた中年の男の人がやってきて腰掛けた。暖かいねというような感じで話しかけてきた。ニョーボとの簡単ないきさつやら、転々とした仕事についてやらの話をしてくれた。何本かの煙草を吸いながら、私はそれを聞いた。「そろそろ帰るかな」と立ち上がると、男の人はポケットからワンカップを1本取り出し、「飲みなよ」と言って、くれた。私は嬉しくなって「ありがとう」と笑顔を返してポケットに納め、自転車に乗った。
大通公園を奥へ進むと阪東橋ランプにぶち当たる。ここが終点だ。その先の高架下も公園だが阪東橋公園と名前が変わり、千歳橋交差点で終わる。
手前には横浜橋商店街がある。いつ行っても毒蝮三太夫が「きたねぇ顔したババァだな!」なんて、マイクを持って現れそうな雰囲気だ。近くの真金町(まがねちょう)には今も「笑点」に出ている歌丸師匠が住んでいる。季節には鯔の大群が上ってくる堀割川に、風に煽られ落とした私の折り畳み傘は…と、「人間の証明」のストローハットのように思い返したりしてみる。(笑)
物置から通称ホカロンの類発見。使用期限は去年の9月。封を開けて振ってみた…。
【 相鉄線の歌 】
さらばーえびなよー、かしわーだいさがみのー、さがみーおおつかー、やーまーとー!
って、知ってる?
小田急線・相模大野駅。古い記憶では、この駅前にある短大を受験したことがある。進学校では全く無かった私の高校からは、私の他にピアノの上手なクラスメイトがひとり、受験したのみだった。私は落ちたし、彼女のことは知らない。それより、なぜこの学校を受けたのかを憶えていない。当日、自宅最寄りの駅で切符を買うとき、どの駅まで行けばいいのかという地理的なことすら頭に入っていなかったように思う。要するに、知らない学校だった。受験とは、不思議なものである。のちに入った他の短大も、ほとんど行かずにやめてしまった。
それから十数年が経ち、入会していた結婚相談所の紹介で出会った男性と初めて待ち合わせたらば、それが相模大野駅の改札だった。
横浜駅から相鉄線の急行に乗り、二俣川から海老名へ行き、小田急に乗り換えて相模大野に着いたと思う。淡い記憶の中で、改札の向うでまるでアメリカの青春映画の主人公のように大きく手を振っていた男性の姿を、今でも思い浮かべることができる。
そのあと、相模大野は思い出すこともない駅のひとつになったが、時間の経過と共にすっかり忘れ去ってしまった。
その数年後、kiriと一緒に町田へ繰り出すようになったある日、行きつけのRick’sのステキなバーマンから「相模大野の○○と△△がイイですよ」と聞き込んだ。さっそく行ってみた。
当時のkiri塒から相模大野は指呼の距離で、夕暮れに歩いて行き、夜半にタクシーで帰った。○○で軽く食ったあと△△へ向かうと、蒸し暑かった夏の当夜、なぜか店のクーラーが故障したということでカクテル全品が半額だった。こうなるともう、大いに飲むしかなかった。今も、酒癖の悪かったあの暑い夏の夜の客が“真夏の世の悪夢”と語り継がれていないか心配である。
今、飼っているコザクラインコのエビィとオカメインコのワサビィのかかりつけ医院が相模大野駅のほど近くだ。たまたままったり亀さんのブログを見て崎陽軒のシュウマイなどを思い出し、たまらなく食べたくなって買いに走った。相模大野駅ビルに崎陽軒の売店が入っているのだ。確か弁当の類は売り切りで、朝入荷した物が争奪戦になるはずだ。午前中に車を飛ばした。売店には目当ての「横濱チャーハン」が3個、残っていた。嬉しい。
崎陽軒で目的のブツを手にすると、通路の奥に見慣れた赤い看板が目に入った。ポンパドウルだ。横浜は元町に本店のあるパン屋の名店だ。ものすごく昔のことだが、伊勢佐木町(最近、「伊勢崎」と書く輩が多く、憤慨至極だ)の有隣堂の横に来る献血車で献血をするとポンパドウルのフランスパンが1本もらえたことがあった…。ヤクルトとかブルボンのお菓子とか絆創膏とかスティックシュガーとかじゃないのだ、ポンパのフランスパンなのだ!!
あの赤い長い紙袋を抱えてザキを歩くのは、たいそう気分がよかった。
両手に崎陽軒の弁当とポンパの赤い袋を提げて歩きながら、相模大野は実家が横浜である私の、なぜだか懐かしいというか、切り捨てたくない“最後の砦”のような気がしていた。地下の大駐車場ではなく駅前のコインパーキングに停めたのでそこまで歩いたが、排ガスのにおいのする裏通りやレストラン前の歩道の様子が、何か都会にいるような気がしたのだ。
昔よく歩いた関内の町や山下町の通りが思い出された。バス停にバスが停まっているからと走らずとも5分待てば次のバスが来る、もしくは市営地下鉄に乗り換えれば良く、金が無ければ自転車でも関内へ行けた日々。行きはバスで帰りは歩くこともあった。ブックオフなんていう派手派手しいチェーンの店はなく、昔からある小さな古本屋を何軒も歩き回る楽しさ…。
今は、ハマっ子の楽しみ夏・冬のバーゲンにも行かずにファッションセンターしまむらの服で満足し、映画館にも行かず、海も見ず、ウィンドゥショッピングもせず、ただ毎日をやり過ごすばかりだ。
望む仕事のなかった職安の帰り、山下公園の一番左のベンチに座って煙草を吸うのが楽しみだった時期がある。冬の寒空、自転車で乗り入れ、かじかむ手をさすりながらメンソールの煙草を咥えると、右から火を差し出された。遠慮なく点けてもらって顔を見ると、白人ではない外国の船員のようだった。言葉は通じないが、私が持っていたセーラムを差し出すと、1本つまんで吸い出した。その彼が何か言う。しかし私には何もわからない。ただ寒空の下で同じベンチに座り、煙草を吸い、海を眺めた。言葉の通じないまま「じゃあ、行くよ」と私は表情で示し、自転車にまたがった。彼も「じゃあな(もしくはグッド・ラック)」とニッコリしてくれ、私はその場をあとにした。
こんなことが相模原で(もしくは他の場所で)あるだろうか。
どこの誰かも知れない、ただ、その人が「人」であったという記憶。外人や黒人がいまだにちょっと怖いと思う自分なのに、なぜあのときは、何の抵抗もなく、彼と隣り合わせて行く船を眺めていられたのか…。
あるとき、またも失意の職安の帰り、大通公園で煙草を吸っていた。寿町も近いそのあたりには浮浪者もたくさんいた。しかし、整備された道幅の広い陽の明るい広々とした公園のベンチには、ただ暖かさだけがあるような気がした。座って煙草をくゆらせていると隣に痩せた中年の男の人がやってきて腰掛けた。暖かいねというような感じで話しかけてきた。ニョーボとの簡単ないきさつやら、転々とした仕事についてやらの話をしてくれた。何本かの煙草を吸いながら、私はそれを聞いた。「そろそろ帰るかな」と立ち上がると、男の人はポケットからワンカップを1本取り出し、「飲みなよ」と言って、くれた。私は嬉しくなって「ありがとう」と笑顔を返してポケットに納め、自転車に乗った。
大通公園を奥へ進むと阪東橋ランプにぶち当たる。ここが終点だ。その先の高架下も公園だが阪東橋公園と名前が変わり、千歳橋交差点で終わる。
手前には横浜橋商店街がある。いつ行っても毒蝮三太夫が「きたねぇ顔したババァだな!」なんて、マイクを持って現れそうな雰囲気だ。近くの真金町(まがねちょう)には今も「笑点」に出ている歌丸師匠が住んでいる。季節には鯔の大群が上ってくる堀割川に、風に煽られ落とした私の折り畳み傘は…と、「人間の証明」のストローハットのように思い返したりしてみる。(笑)
26歳の秋から冬、とある会社に勤めた。おじいさんがいた。職人頭だった。どこの生まれかは知らなかったが、口調はビックリするようなべらんめぇで、でも心根が冷たい人とは思えなかった。暇なときはいつも池波正太郎の文庫本を読んでいた。会社の近くの本屋で新刊が出ると、嬉しそうに「ほら、買ってきた」と見せてくれた。
そのころ、まだ私は池波正太郎を知らなかった。森村誠一や片岡義男を読み漁っていた。
本といえば文庫本しか読まず(今でも)、いつしか古本屋にしか足を運ばなくなった私は、話題の新刊書も読まなかった。
今、池波正太郎を読み始めている。高校生の頃、数ページめくって面白くないと判断した司馬遼太郎も大好きだ。
ひところ、本から遠ざかった。バスを待つ間も、電車の中でも、いつも文庫本を手放さなかった私が、携帯のゲームに没頭したり、メールを打ったりするようになった。なにより移動の手段が自分で運転する車になったので、本など読んでいる暇がなくなってしまった。
もっとずっと本を読み続けていればよかったと思う。今は昔ほどの速度で字が追えないし、内容も頭に入らない。読後しばらくしてまた同じ本を買ってしまう“事故”も2度あった。情けない限りだ。
若いうち、というより、子供の頃から本を読みつけておくことは何にも増して必要だと、今さらながらに思う。だが、私はこのことを伝える相手を持たない。ひとり、老齢の読書に励むのみだ。

大事なわが蔵書。入江相政氏の本は他にも数冊持っている。いずれも古書店で手に入れたが、中には蔵書印が捺してあるものもあった。
【 (無題) 】
スメラギさんはボインすぎる。草薙少佐はともかくとして、土曜6時台の番組としてどうかと思う。プレイボーイやホットドッグプレス(古っ!)の差し金か?と言いたくなる。
【 類似といふもの 】
坂本教授の髪型と秋篠宮様の、それ。
そのころ、まだ私は池波正太郎を知らなかった。森村誠一や片岡義男を読み漁っていた。
本といえば文庫本しか読まず(今でも)、いつしか古本屋にしか足を運ばなくなった私は、話題の新刊書も読まなかった。
今、池波正太郎を読み始めている。高校生の頃、数ページめくって面白くないと判断した司馬遼太郎も大好きだ。
ひところ、本から遠ざかった。バスを待つ間も、電車の中でも、いつも文庫本を手放さなかった私が、携帯のゲームに没頭したり、メールを打ったりするようになった。なにより移動の手段が自分で運転する車になったので、本など読んでいる暇がなくなってしまった。
もっとずっと本を読み続けていればよかったと思う。今は昔ほどの速度で字が追えないし、内容も頭に入らない。読後しばらくしてまた同じ本を買ってしまう“事故”も2度あった。情けない限りだ。
若いうち、というより、子供の頃から本を読みつけておくことは何にも増して必要だと、今さらながらに思う。だが、私はこのことを伝える相手を持たない。ひとり、老齢の読書に励むのみだ。

大事なわが蔵書。入江相政氏の本は他にも数冊持っている。いずれも古書店で手に入れたが、中には蔵書印が捺してあるものもあった。
【 (無題) 】
スメラギさんはボインすぎる。草薙少佐はともかくとして、土曜6時台の番組としてどうかと思う。プレイボーイやホットドッグプレス(古っ!)の差し金か?と言いたくなる。
【 類似といふもの 】
坂本教授の髪型と秋篠宮様の、それ。
【 印象といふもの 】
「デビュー○周年記念」というのと「芸能生活○周年記念」というのでは、印象が違い過ぎる。
【 現実といふもの 】
弁護人曰く「被告は深く反省しており…云々」
この場合、反省はほとんどしていないことが多い。(一部のケースを除く)

1袋87円のつくね。3袋買うと257円という赤札が立っている。つくねは魚と鶏の2種類。私はとっさに暗算をして「なんだ、4円しか安くならないんじゃん」と思い、各2袋づつ、計4袋買った。あとでレシートを見ると6円の値引きになっていた。謎だ。

今朝雪が降った。本降りかと思う勢いでたちまちのうちに降り積もった。驚いて写真を撮りまくったり、干してあった物を慌てて取り込んだりした。数分後、すっかり雪は止み、数十分後、青空が覗き始め、現在からりと晴れ上がった空の下に雪など跡形もない。9時半過ぎまで寝ていた人は雪が降ったことを知らないだろう。さっさと起き出してヨカッタ。(普通起きてるって)
「デビュー○周年記念」というのと「芸能生活○周年記念」というのでは、印象が違い過ぎる。
【 現実といふもの 】
弁護人曰く「被告は深く反省しており…云々」
この場合、反省はほとんどしていないことが多い。(一部のケースを除く)

1袋87円のつくね。3袋買うと257円という赤札が立っている。つくねは魚と鶏の2種類。私はとっさに暗算をして「なんだ、4円しか安くならないんじゃん」と思い、各2袋づつ、計4袋買った。あとでレシートを見ると6円の値引きになっていた。謎だ。

今朝雪が降った。本降りかと思う勢いでたちまちのうちに降り積もった。驚いて写真を撮りまくったり、干してあった物を慌てて取り込んだりした。数分後、すっかり雪は止み、数十分後、青空が覗き始め、現在からりと晴れ上がった空の下に雪など跡形もない。9時半過ぎまで寝ていた人は雪が降ったことを知らないだろう。さっさと起き出してヨカッタ。(普通起きてるって)

31日の晩〜3日夕まで、実家に入り浸っていた。
Bean号にkiri・30・エビィ・ワサビィ・マンボゥ&お泊まりセット等々積み込んで小さな旅。
本当は2日の駅伝見たら帰ろうと思っていたのだが、荷物を探ったらパンツがもう1セット入っていたので1日延長(笑)。シッカリ美味いもの食い過ぎで頭が朦朧としている。
パソコンのない時間がこんなに長く続くことは1年のうちでもこんなときぐらいしかないので帰宅するとちょっとした浦島気分。だって携帯のメールは打つのが面倒なんだもの。
というわけで今ごろコメントを見ました。
いっちゃん、こんにちは!あけましておめでとうございます。
実家の横浜で正月を過ごしたので、とっても暖かい三が日でした。
年末のスタンドは大混雑で行列ができていましたね。値上げにメゲずに今年もあちこちお出かけしましょう♪
いっちゃんのHP
悠悠緩緩
山梨のりんさん、あけましておめでとうございます!
31日の朝、高下までダイヤモンド富士を見に行きました。1日前だとものすごく空いているんですね。
上空に黒雲が広がって小雪がちらついていましたが、なんとか見ることができました。
文学碑のそばで去年会った甲斐犬のチビちゃんにも再会することができました。飼い主のおじさんに「また来年来ます」と言って帰ってきました。
今年もまた、いっぱい山梨に行きたいと思っています。宣伝しなきゃ〜!!(^◇^)
どこかの林道でバッタリ会えたら楽しいですネ♪
りんさんのHP
山梨の林道事典
えぼらぁ〜さん、あけましておめでとうございます〜!!\(^o^)/
そうなんですよ、掲示板無いってわかりにくいですよね。
ダイヤモンド地点にもしかしてワルッパいないかなと思ったんですけど、寒くて捜索断念しました。(笑)
おせちは毎年母が気合を入れて作ります。そんなに食べないからっていくら言っても、子供たちが帰ってくるのが嬉しいらしくて冷蔵庫は満タンになっています。結局未開封の残り物やら冷凍のお肉やら何やらいっぱいもらって帰ってきます。
あとで、えぼらぁ〜さんが褒めてたよってメールしておきます。(笑)
えぼらぁ〜さんのHP
EVOMIX








